デザイン研究

デザイン研究の難しいところ
2020-12-10

デザイン研究の難しいところって、「制作の研究」になるので、個人の作家性と、公共的な科学的な積み重ねが混ざりあってるところかも。 誰かの発見に乗っかることで、もっとデザインは広がるけど、(制作)の中に(知恵/知識/知見)が入り込んでる状態だと、繋げたり乗っかりにくい。 個人の経験が詰まった(制作)から、普遍的な(知恵/知...

残された言葉は時空を超える
2020-09-19

遅ればせながら渡辺保史さんの遺稿「Designing Ours『自分たち事』をデザインする」を世話人の方を辿り手に入れることができた。諦めかけてたので感謝です 目次で1番気になってた項。答えを求めてジャンプしたら未完。渡辺さんの探究した世界を私なりに引き継いで言葉にしていきたいと思いました。 渡辺保史さんが亡くなったの...

デザインする時の権力や責任の取り扱い
2020-09-07

半年前に上平先生の「デザイン×文化人類学」の講演を聞いた時のメモ。『権力の手放し』というキーワードが特に気になってる。 デザインは、混沌に適切な秩序を与える作業がある。ディレクションやコンセプト作り。そこには何かしらのパワーがかかる。そのパワーが権力ではない形になるにはどうしたらいいのか? ・デザインすることで壊れるも...

大阪万博のロゴ
2020-08-20

大阪万博のロゴ、みんなが子供のように「こんな風にも見えるよ!」と自由な感覚を素直に見せ合うワークショップのよう。私は凄く好き。 そのプロセスにいのちの輝き感じる。それぞれの見え方を受け止める環世界的なデザインと考えてみると面白い。 誰かが作った図案を神聖なものとして大事に扱うデザインのあり方もいいけど、それぞれの見え方...

新しいモノゴトが広まる時の誤解の乗り越え方
2020-03-04

SNS越しの "グラレコ" が新しい領域に広がる度に、新しいプレイヤーが増えて、誤解も増えて、色々な反感も生まれて...という波を、2013年から5回以上は経験してきてる。コロナの影響でオンラインでの交流が増えてるので、また波が来てる感じする。 だけど最近は「グラフィックレコーダー」と名乗る人たちが、しっかりと考えや意...

「想い/願い」と「欲望」との違い
2020-01-30

今日は多摩美 大学院美術研究科の卒制審査会を見学。アートコースとデザインコース、まぜまぜで講評。聞いていると、学生時代にアートコースの先生方の言葉や思考に影響を沢山受けてきたことを思い出した。個を研ぎ澄まして、歴史のフレームを乗り越えるアートのマインドがとても好き。 「(誰か)のために」の前に、 「(私)が世界をどう感...

デンマーク研究旅行を通して得た発見
2018-06-05

はじめに 2018の春夏に東京藝大 情報設計室 須永ゼミのみんなとデンマークのソーシャルデザインを研究するためコペンハーゲン、コリング、オーフスを周った。その時に作った清水視点での発見エッセイレポート。デンマークの風景から見えるデザインの営みについて3つの発見をまとめている。ビジュアル無しの感じたままを書いた長文です。...

fuzzy loglcの浮島の世界
2018-04-09

働きつつ、藝大に通いつつ、多摩美で教えていると、頭シャッフルされて、いろいろな発見がある。最近感じたのは、芸術/美術を学ぶ学生は、揺らぎのある言葉や曖昧な主観を起点にモノゴトを考えることが多いけど、なんとなくロジカルでもある、ということ。それは、明確なロジックだけではなく、柔軟性のあるロジックの世界観。fuzzy lo...

それぞれのふつうを作るデザイン
2018-01-21

人と人の関係とか役割とか時間の流れって、誰かが名前をつけて管理ができるほどシンプルなものではないよな。と最近強く思います。例えば... 「正社員と派遣社員」、「本職と副業」、などなど。何かと『正』と『その他』の視点でラベルを貼って整理をしようとする。そうでなくて、ある種類の一つで、自由に組み合わせて、個人がカスタマイズ...

経済から社会へ広がるデザインの対象領域
2017-12-31

大学生の頃に「あなたが自由に何でもデザインできるとして実現したいことは何ですか?」と誰かに聞かれたことがある。 その時に、私は「わざわざカッコつけてなくても、カッコいい生活を当たり前に送れるようにデザインしたい」と答えた。 なぜかというと、高校生の時に「デザイン」が特別な人の特別なモノになってしまっていることに、とても...