デンマーク研究旅行を通して得た発見

はじめに

2018の春夏に東京藝大 情報設計室 須永ゼミのみんなとデンマークのソーシャルデザインを研究するためコペンハーゲン、コリング、オーフスを周った。その時に作った清水視点での発見エッセイレポート。デンマークの風景から見えるデザインの営みについて3つの発見をまとめている。ビジュアル無しの感じたままを書いた長文です。

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発見🔍1-ビジョンを空間で共有する

今回、図書館、学校、美術館と様々な場所を巡った。私は英語が堪能ではないが、デンマークの人々が目指す方向性が言葉を介さずとも空間を通して伝わってきたことが驚きだった。

a:進行中の活動そのものを展示する
コリングデザインスクールのテキスタイル学科では、企業とコラボレーションして、毛皮やニットや宝石など素材のテーマごとに、ワークショップルームを設けている。このワークショップルームは単に専門知識が学べる作業部屋ではなく、素材や授業のプロセスそのものを展示していた。この展示によって、学生にとっては自分が何に興味があるのか確認できるシラバスのような存在。企業にとっては自社の技術をアピールできる場所。そして私たちのような来訪者にとっては学校の普段の活動を覗き見ることができる場所となっている。3つの意味を持たせていた。

b:公共の中でも個人のスペースを大事にする
コリングデザインスクールやデザイン幼稚園では、個人のスペースを大事にしていた。自分が大事に思うもの、育てたい思いを、公共のスペースの中にしっかりと提示する場所が設けられていた。引き出しの中にしまうのではなく、周りに提示し、対話が生まれる場所にデザインされていた。

c:食堂や図書館は必要機能をこなすだけでない。
ご飯を食べる食堂や本を読みための図書館だが、その機能に留まることなく、人々を繋げるために誰にでもオープンに開かれていた。何かの目的を効率的に果たすだけでなく、その行動をきっかけに新しいコミュニケーションが生まれるような舞台になることを想定しているように感じた。

■ビジョンを空間で共有することの意味や意義
ビジョンを言葉にすること以上に、空間に落とし込むことの効果は大きいと感じた。私のような言葉が不自由な外国人がいた時に、言葉だけで共通言語を作ると齟齬が生まれる。しかしビジョンを空間に落とし込むことで、複雑な言葉は要らなくなる。全員がその空間の一部となり、ビジョンを形作る一員となれる。空間に入り込んだ後は、そこで感じた空気を共有するために自然な対話が生まれてる。

デザインの知行
“名詞”ではなく”動詞”でものごとを共有して対話を生む。

空間の中に現在進行中のビジョンをまるごと共有することで、
「名詞」ではなく「動詞」でものごとを捉えられるようになると感じた。

例えば、食堂だったら、「食事」ではなく「食べる」
図書館だったら「本」ではなく「読む、学ぶ、集まる」
アトリエだったら、「作品」ではなく「つくる」

このように「動詞」で、ものごとが共有できるようになることは、
デザインを「Design」ではなく「Designing」という活動として
誰でも感じられるようになるためのデザインなのかもしれない。

完成された名詞に対しては鑑賞というアクションしか取れないが、
現在進行形で動いている動詞をみんなで見ることで、様々な対話が生まれやすくなる。

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発見🔍2-判断は自分を軸にする

学校も街もみんなが主体的に動いているような空気を感じた。それは何故なのか?ユアンとトーマス、2人の言葉にヒントがあった。

a:You decide「あなたが決めなさい」(ユアン)
デンマークの子供たちは親に言われたことを守るよりも、自分で何が良いのかを考えて決めることを求められてるとのことだ。ティーンに成長した子供が、ナイトクラブに行くかどうかを決めるのは親ではない。子供が行きたければ行く。内心ドキドキしながらも、デンマークの親は子供の主体的な判断が、後の彼らの大きな成長につながると信じて舵取りを子供に任せている

b:Tasting「味見をする」(トーマス)
デザイン思考を藝大に取り入れるべきかどうか?日本語で議論をしている時にトーマスが雰囲気を察して言った言葉。「我々はデザイン思考を教えることで、味わって欲しいんだ。味わって欲しいのは、デザイン思考の味ではなく、その考えを聞いた時の自分の感性や思考の動きだ。じっくりと自分の中の変化を味わって欲しい。そしてその味わいは、きっとみんな違う。私はその違いを祝福したい。そこからデザインが生まれる」とのことだった。(意訳なので少し違うかもしれないが…)

■判断は自分を軸にすることの意味や意義
自分が軸になるというと、とてもわがままな感じがするが、そうではない。自分を軸にするためには沢山の情報や、自分を取り巻く環境の観察が必要となる。なので、実は、自分を軸にすることは、周りへの思いやりを育てることに繋がる。人の司令をしっかりと聞くというと聞こえはいいが、状況判断するための思考やセンサーを停止させてしまうことなのかもしれない。。また、このプロセスは学びの場の新しい可能性の提示のようにも感じた。従来の答えは先生(年長者)が持っていて、答えを学生(子供)に受け渡すというものではない。それぞれの内部に新しい答えがあるという考え方だ。ともすると、教えることの責任放棄にも繋がりがちだが、そうではない。お互いが自分を軸にすることで、より深く尊重しあい、先生と生徒の垣根を超えた新しい学びの場があるように感じた。

デザインの知行
自分の五感をフル回転させて世界を捉えることを学びと捉える

誰かの答えを丸暗記して、その答えを再現する力だけではなく、自分の感覚を生活に隅々まで伸ばして、自分なりの判断軸を持つことで、生活を主体的に行うことができるように思う。

答えを再現する力は知性のひとつだが、知性全てとは言えない。正しい答えを知ることは知性の一角でしかない。だけど、日本の学校では、その知性のみが可視化される傾向にあるように感じる。

逆に美大では、暗記する答えは存在しておらず、自分の感覚を持って、世界との差異を感じ取り、自分なりの答えを提示して社会と関わることを学ぶ。

自分の視点から見える世界を素材に他者と対話する力をひとつの知性として、社会に取り入れることができれば、もっとデザインを多くの人々で育てていくことができる環境になるのかもしれない。

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発見🔍3-生活と制作を分断せず混ぜる。

ベッドタウンという言葉が日本にある。高賃金を得る都心の職場に行くために、夜に休むための家が集まる郊外にある街を指す。悪いことではないが、働くことと暮らすことが分断されやすい暮らしが人間にとって本当に心地いいものなのかどうか、デンマークの暮らしを見て少し疑問に思った。

a:エリザベスの家とユアンの家
コリングデザインスクールで教員として働くエリザベスとユアンの家を訪れた。日本でホームパーティを開く人は少ない。家は内であり、外部の人を呼び込む作りやマインドにはなっていないことが多い。その点彼らはとてもオープンだ。きっと彼らにとって私たちを呼び込むことは新しいものを生み出すためのインスピレーションのひとつ。つまり制作活動の一部なのだろう。

b:クリスチャニア
ヒッピーたちの楽園。非常識がそのまま街になっているような場所。「犬を鎖でつないではいけない」「落書きOK」などユーモアのあるルールで成り立っている。そこのでの営みは外部を遮断する作りではなく、誰でも見れる観光地となっている。彼らは自分たちの制作物(ピースな生活)をそのまま観光資源としているのだ。

c:イノベーションセンター
「May i see?」須永先生のその一言で、アポなしで訪れたイノベーションセンターは扉を開いて丁寧に紹介をしてくれた。また先生が名刺を渡すと、日本に行く予定があるから、会えるかも?とのこと。小さな一言のつながりで海も渡って大きなつながりを作るアクティブさ。

■生活と制作を混ぜることの意味や意義
エリザベスとユアンの家という個人宅、イノベーションセンターという製作所、クリスチャニアという歴史と観光の場、この3つは全く性質の異なる空間だが、「生活と制作を混ぜる。」というポリシーは共通のものだったように感じた。作ったものがそのまま生活になり、生活を作るためのものがそのまま産業のアイディアになり文化になる。そのような循環を感じた。個人レベルでも街レベルでも、国家レベルでも、ウチとソトを分けずに、なるべく大きな循環を作り出そうとしている。

デザインの知行
ウチとソトを循環させることで継続的な関係をつくる。

空間も心理も、ウチとソトを分けずに混ぜ合わせることで、人間本来が持つ心地良さへの欲求に嘘をつかない状態ができあがるように思う。そのような状態をキープできれば、本質的なデザインができるようになるのではないか。

自分の庭を無菌状態で作って、理想の世界を仕上げるのではなく、環境の中で循環させて、喜びも痛みも全て調和するように日々調整/設計していく。

また、その調整/設計は、特別な誰かではなく、生活者ひとりひとりが行なっていく。そうすることで、個人〜家〜町〜国というユニットが繋がっていくのかもしれない。

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発見🔍-全体を通してのまとめ

1-ビジョンを空間で共有する
2-判断は自分を軸にする
3-生活と制作を分断せず混ぜる。ウチとソトを循環させる。

1-日本の田舎とデンマークの構成要素は似ている
主に、この3つの学びを今回の研究より得た。そして、この3つ、実は初めて見た衝撃の考えではなく、自分が0歳から18歳まで過ごした千葉の実家で培った世界観に、なんだか似ていた。それが今回の一番の衝撃的な発見である。一緒に行った田舎育ちのメンバーからも「ここって自分の育った所になんだか似てるんですけど…?!」という感想があった。日本の地方を構成してる要素は、たぶんデンマークの最先端のデザインのチャレンジと同じもので出来ているように思う。しかし彼らとの違いは、その構成要素を誇りに思うどころか、少し劣等感に感じてたりする。そのギャップをありのままに直視して、デザインして行くことが重要なのかもしれない。

2-天然の無限的生産力(※追記あり!)
また、なぜバイキングの国があんな福祉国家に変貌したのか?その経緯をわかりやすく解説している1911年に東京で行われた講演録が記録された 内村鑑三「デンマルク国の話 信仰と樹木をもって国を救いし話を上平先生のブログで知った。帰国してから読んでみた。その中にデンマークから学ぶべきことのひとつに「天然の無限的生産力」という言葉があった。

「今、ここにお話しいたしましたデンマークの話は、私どもに何を教えますか。〜中略〜 第二は天然の無限的生産力を示します。富は大陸にもあります、島嶼とうしょにもあります。沃野にもあります、沙漠にもあります。大陸の主ぬしかならずしも富者ではありません。小島の所有者かならずしも貧者ではありません。善くこれを開発すれば小島も能く大陸に勝まさるの産を産するのであります。〜中略〜 外そとに拡ひろがらんとするよりは内うちを開発すべきであります。」

3-自然を編み上げるデザインの必要性
田舎ではなく、地球のありのままの自然の力。自然であることを未開発であると恥じるのではなく、そのまま生かすような考え方、デザインはできないだろうか? 生活と制作を混ぜながら、個の活動からコミュニティ(町や国や色々な単位の集まり)の魅力へと育てて、編み上げていく。そのプロセスをファシリテートしていくような人。(それをデザイナーと呼ぶのか分からないけど) そういう人々が増えれば、日本も素敵な場所になると感じている。

終わりに

海外を視察したら「日本ダメだ…」と絶望して反省する悲しい気分になるな…と思ってたけど、意外と全く逆でした。「素材は揃っているので、我々もいい感じにデザインしていけば、きっと楽しくなる」という感覚を得られたのが何よりの学び。残り30年くらいのデザイン人生、良いもの生み出していきたい。

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※デンマルク国の話について追記

北欧留学情報センターBindeballeさんから @bindeballe 
『デンマルク国の話』についてのご指摘と補足情報をいただきました。

大阪大学から頂いた分厚い紀要集?「IDUN21号」でいちばん興味深く読んだのが『彼我を視野に据えての「ダルガス神話」成立の再考』(村井誠人、早稲田大学教授)です。簡単かつやや乱暴にいうと、『デンマルク国の話』(内村鑑三著)は作者による”作り話”である、ということを詳細に説明した論考です。
村井先生は、この『デンマルク国の話』を事実として信じ、デンマークについて語り始める日本人(時にデンマーク在住の日本人)に、本書を引き合いにだしてデンマークの歴史、文化、社会、国民性を語ることに、数十年前から警鐘をならしています。
『デンマルク国の話』の中で紹介されるヒーロー、エンリコ・ダルガスが言ったとされる(実際には言っていない)「外で失いしものを、内にて取り戻さん」という耳触りの良い一言が入った感動的な「お話」は、日本人の心の琴線に触れるらしく、社会的に影響力のある一部の日本人達の間で、ダルガス神話信奉はいまだに絶えないのです。
近代デンマーク社会の成立の出発点であるかのように、『デンマルク国の話』を持ち出すのは、デンマーク人もビックリのビッグマウスになってしまうのです。
とくにデンマーク在住の人達に読んで欲しい論考です。
(北欧留学情報センターBindeballeさん FB投稿より引用)

自分の目で見てない部分を文献に頼るのは有効ですが、その文献の信憑性を確認することも重要ですね。勉強になりました◎ 北欧留学情報センターBindeballeさん、ご指摘ありがとうございました:D

shimizu-junko
About The Author
           

清水淳子 | shimizu junko

1986生まれ。2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後 デザイナーに。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。2019年、東京藝術大学デザイン科修士課程修了。現在、多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に「Graphic-Recorder-―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」がある。 twitter@4mimimizuでも日々色々と発信してます。

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