それぞれのふつうを作るデザイン

人と人の関係とか役割とか時間の流れって、誰かが名前をつけて管理ができるほどシンプルなものではないよな。と最近強く思います。例えば…

「正社員と派遣社員」、「本職と副業」、などなど。何かと『正』と『その他』の視点でラベルを貼って整理をしようとする。そうでなくて、ある種類の一つで、自由に組み合わせて、個人がカスタマイズするべきパーツのひとつと感じるネーミングだったらといつも思う。/ スラッシャーな生き方より@4mimimizu

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「中心/その他」の考え方はもう古い

何かの平均やボリュームゾーンかの視点からみると、確かに、『正』と『その他』になるかもしれない。でもそれってデジタル環境が整ってない時代に、そういう方法で全体像を管理するしかなかった時代の遺産なのではないかとも思う。まるで関ヶ原の戦いのあとに、徳川家康が譜代大名と外様大名に分けて管理しようとしてきたような古いものごとの見方だ。(分けた結果、外様大名である薩摩/長州に討幕される..という流れも皮肉で興味深い)

今は、デジタル環境が整って、個人の声がマスメディアの報道以上に世界に広がることもある。地域の中でのマイノリティと言われてた人々も、国境を超えて手を取り合って、世界でバーチャルなコミュニティを形成できる。そういった時代には、ざっくりとした平均的なラベルはもう古い気がする。個々の状況に合わせて生まれる考え方をベースに、それぞれの生き方を支えるような仕組みのデザインが生まれてもいいんじゃないかと思う。

「多様性を認めていこう!」っていう時に、なんかいきなり=LGBT、障害者.etc に注目がいくこと。これって、いきなり土足で踏み込んで、「中心/その他」のラベリングしていくような感じがして、なんかちがうよな…。といつも思う。それって「私たちはふつうですけど、違うものも認めます」という宣言に歪曲しているような不安を感じることある。

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「多数決のふつう」ではなく「それぞれのふつう」

「中心に対して、違うものがある。」のではなく、本当は「みんなそれぞれ違った環境から違うものをみている。」一般的なふつうと呼ばれてる人たちも、きっと皆ふつうなんかじゃない。心の底では、少しづつ周りとの違いを感じて生きているはず。本当は「それぞれのふつう」が人の数だけあるはず。

デジタル環境の変化で「それぞれのふつう」が発信しやすくなってきている。これからの時代は、「多数決で決まるふつう」ではなく「自分にとってのふつう」を中心に考えていく世界になっていく気がする。

私は最近「一般的なふつう」を作るのではなく、その人にとっての「それぞれのふつう」を支えるためのデザインにとても興味ある。

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マイノリティのためだけではない

既存のデザインジャンルでいうと、インクルーシブデザインになるのだろうけど、私がイメージしてるのは、インクルーシブデザインとは少し違う。たぶんマイノリティ(少数派)のためのデザインだけではないんだよな。現状、マジョリティ(多数派)と言われてる人たちも、実はマイノリティであるかもしれない。というようなイメージ。小室さんの件で知ることができた「隠れ介護」という社会課題は、イメージに近い。

『年間10万人もの人が介護を理由に職場を去る。介護をしながら働き、企業が把握していない人は1300万人』👉隠れ介護1300万人の激震~エース社員が突然いなくなる 日経ビジネスオンライン

長年マジョリティだったけれど、気がついたら、マジョリティの枠組みに合わなくなってて、でも声をあげられずに、マジョリティのコミュニティで過ごそうとして辛くなるが、助けを求める場所がみつからない。そういった現象は他に多くありそう。

マジョリティのゆるやかな解体、実はみんなそれぞれ違うってことをオープンに宣言できる環境づくり。全くまとまらないけどそんな新しいデザイン領域のイメージが最近ある。どういうカタチかはわからないけど、とても必要性と可能性を感じる領域。

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環世界という概念。

「それぞれのふつう」に興味を持ち始めたきっかけのひとつは、環世界という概念を知ったこと。これは去年の夏に、ICCのカンファレンスのグラフィックレコーディングのお仕事で出会った概念。環世界とは、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルという生物学者/哲学者が「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動している」という考え方。

詳しくはこちらの本に 👉 生物から見た世界 (岩波文庫) / ヤーコプ・フォン・ユクスキュル

例えば、ハチと熊は、同じ世界をみているかというと、全く違う。それぞれのスピード感で、それぞれの食べ物を狙うために、違う知覚と時間感覚を使って生きている。動物と昆虫で考えると、当たり前!と思うのだけど、なぜか人間になると、「ふつう、みんな同じものを見ている」という前提になりがちだ。絶対に違うはずなのに、この「ふつう」ってなんなんだろう。

そして、そのカンファレンスのあとに、 ICC主催で、情報的視点で環世界を考える「情報環世界研究会」なるものが発足された。この研究会に、グラフィックレコーダーとして参加させてもらってたお話は、長くなってきたので、また今度!(次号予告が溜まっていく…!)

About The Author
           

清水淳子 | shimizu junko

デザインリサーチャー / 情報環境×視覚言語の研究 / 2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後 デザイナーに。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。2019年、東京藝術大学デザイン科修士課程修了。現在、多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に「Graphic-Recorder-―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」がある。 twitter@4mimimizuでも日々色々と発信してます。

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