今日は多摩美 大学院美術研究科の卒制審査会を見学。アートコースとデザインコース、まぜまぜで講評。聞いていると、学生時代にアートコースの先生方の言葉や思考に影響を沢山受けてきたことを思い出した。個を研ぎ澄まして、歴史のフレームを乗り越えるアートのマインドがとても好き。
「(誰か)のために」の前に、 「(私)が世界をどう感じたか?」 ここの原体験が起点にある作品や研究はアートでもデザインでも強いと思う最近。
デザインだと(ユーザー、ターゲット、消費者、生活者)って言葉が先行しがちだけど、本当はその世界にいる(私)が絶対にいる。(私)を意識するのは、創作者のエゴではなく、その世界にちゃんとに参加してる証拠と考えたい。
もちろん剥き出しの(私)の状態で表現すると、暴力的すぎる。なので、(私)をどう整理して表現に昇華するか? そのコントロール方法を学ぶ必要がある。 (誰か)だけを見てモノを作るハウツーではない(私)から生み出されるクリエイションの方法を試してる場所が美大なのかもしれない。
「想い/願い」は素敵な言葉だけど、「欲望」との違いは曖昧。「想い/願い」が暴れないように、でも小さくならないように、適切な輪郭を作り続ける技術。それが「デザイン」なのかな。とか、色々考えた今週。
About The Author
清水淳子 | shimizu junko
デザインリサーチャー / 情報環境×視覚言語の研究 / 2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後 デザイナーに。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。2019年、東京藝術大学デザイン科修士課程修了。現在、多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に「Graphic-Recorder-―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」がある。 twitter@4mimimizuでも日々色々と発信してます。