なぜデザインを言葉にするのか?

今、デザインの仕事をしている人やデザインに興味を持ち始めてる人たちに聞いてみたいことがある。それは「一体いつどこで初めてデザインという概念をはっきりと認識したのか?」ということ。私は色々と明確に覚えている。その時のことを思い出していたら、「なぜデザイナーがデザインを言葉にして発信する必要なのか?」という問いの答えが見えてきた。長いけどまとめてみる。

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まず生まれて初めてデザインという言葉を意識した出来事は、小学校5年の頃にりぼんで連載していた矢沢あい先生のご近所物語。主人公の実果子ちゃんがファッションデザイナーを目指して矢澤芸術学院に通うというストーリー。この漫画でデザイナーという職業を明確に知った。ちょうど漫画家を諦めて、何になろうか考えていた私にとって素晴らしく魅力的な職業に見えた。(👉小学校5年で、漫画家を諦めた時の話はこちら)  そこで、実果子ちゃんと同じファッションデザイナーになろう!いつかロンドンに留学しよう!と考えた。(単純!)

中学時代には、ファッション雑誌の後ろについてる広告で、矢沢芸術学院のリアル版っぽいバンタンを見つけて、ここに行こう!と考え始めた、ちょうどその頃にCUTIEで、安野モヨコ先生のジェリービーンズという漫画が始まる。こちらの漫画も主人公のマメちゃんの将来の夢もファッションデザイナー。だけど、実果子ちゃんが都会の尖った高校生だったのに対して、マメちゃんはどちらかというと平凡な田舎の高校生。漫画では2人ともファッションデザイナーとして成功してるけど、私には、マメちゃんの楽しんでる姿より、悩む姿が印象的で、なんだか自分と重なった。「私はお洒落な実果子ちゃんに漠然と憧れてただけで、一生をかけるほどの覚悟はなかったかもしれないなぁ」と思いファッションの専門は諦めた。

しかし高校は進学校だったので、周りは大学受験の準備を進めている。今後の進路を決めなくてはいけない。そんな時に美術大学の存在を知る。面白そうだと思い、とりあえず美術予備校に通ってデッサンを勉強し始めた。だけど、美大を出たらどんな将来が待っているのか想像がつかずかなり不安を感じていた。そんな、2003年、高校二年生の時だった。母親が「新聞の広告に武蔵美の教授の本が載ってたよ。美大のことがわかりそうだから買ってみる?」と言ってくれた。それが原研哉さんの名著、「デザインのデザイン」だった。

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長い回想シーンから、冒頭の質問に戻ると、「一体いつどこで初めてデザインという概念をはっきりと認識したのか?」という回答は「高校2年生の時に、2003年10月に、原研哉さんの書籍、デザインのデザインを読んで」ということになる。私はこの書籍を読んでデザインの深い魅力や厳しさを初めて触れた。そして、アーティストではなく、デザイナーになろうとはっきり決めた。

2017年の今なら、ググれば、有名なデザイナーのソーシャルアカウントもフォローできるし、なんなら直接メールをして会ってもらうこともできるかもしれない。けど、2003年の当時地方にいる自分にとってデザインを知ることができるチャンスはこの書籍のみだった。(しかもその流入ポイントが母親が見た新聞広告というのも、その時代を表しているね…!)

この書籍のあとがきにはこう書いてあった。

デザインという世界は一見つかみがたいところがあって、流行やトレンドとともにふわふわと社会の中を漂っているように思われているふしがある。だから興味があっても、自分の一生を賭して入っていく世界ではないと考えれているのではないか。デザインの世界はちゃんとに地面に足をつけて歩いてゆける世界である。興味を持ったら、しっかりと地面を踏みしめて入ってきてほしい。/ 原研哉, 2003, デザインのデザイン, 岩波書店, P227

「一生の進路としてデザインやアートを学ぶ美大はふさわしいのか?もしかしたらただの道楽の親不孝で終わるんじゃないだろうか?」デザインを職業にすることを不安に思っていた当時の私にとって、こんなに心強い言葉はなかった。この書籍を読んで、一生を賭しても大丈夫という気がした。またデザインに特に詳しくない高校の先生から進路大丈夫なの?と冷ややかな目で見られても全然大丈夫だよ。と自信を持って過ごせた。もしこの書籍を知らなかったら、デザインは不安定だよな、とか考えて、自分には不向きの道に行って苦しんでいたかもしれない。

デザイナーが言葉でデザインを発信すると「セルフブランディング乙!(☆・ω・)ノ」みたいな空気になるのはとても勿体無い。デザイナーがデザインについて真剣に「言葉」にすることは、確かに自分自身のクライアントへのCMになることもあるかもしれない。でも、そこは本質ではない。デザインという世界がよくわからないけど気になってるという人たちに、言葉で伝えることでデザインの魅力を感じてもらうことだ。そしてその人たちは、デザイナーをサポートしてくれたり、違う領域にデザインを運んで繋げてくれたり、次の世代のデザインを作り出す人になっていくはずだ。言葉にすることで自分が意図しない新しいデザインが生まれる可能性を作れるのだ。

音楽家が楽譜を残したように、デザインが生まれる環境や工程を記録して、言葉で発信することは、超重要な仕事だと思う。今の時代もだけど、もしかしたら時間を超えて、AIが当たり前になった100年後の未来のデザイナーたちが、人間らしさとは何ぞや?と迷子になった時に、「インターネットが登場し始めた21世紀初頭はどんな風にデザインしていたのか…?」と、私たちのことを参照するのかもしれない。私たちが「バウハウスとはなんだったのか?」と、彼らが残した言葉をかき集めて、現代でも参照し続けているように。

デザインを言葉にすることはもうひとつのデザインである。

デザインのデザインの書籍の書き出しはこんな言葉から始まっている。初めて読んだ時はこの文章の意味もよくわからなかったが、今ならなんとなくわかる。デザインを言葉にすることはもうひとつのデザインなのだ。

とはいえ、デザインを言葉にすることはとても難しい。一筋縄ではいかない。理由としては色々あると思うが、私が考える一番大きな理由は、前回の記事で考えたように、たぶんデザインを構成している半分は知識や理論ではなく身体知だからだ。なので、言葉だけで100パーセントを伝えることは難しい。だけど、その「言葉にできなさ」をいかに「言葉にできるか」が、すべてのデザイナーに課せられたもうひとつのデザインワークなのかもしれないと感じている。

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About The Author
           

清水淳子 | shimizu junko

1986生まれ。2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後 デザイナーに。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。2019年、東京藝術大学デザイン科修士課程修了。現在、多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に「Graphic-Recorder-―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」がある。 twitter@4mimimizuでも日々色々と発信してます。

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