デザイン思考について思うこと

デザインの方法論って沢山ある。みんな一体何個くらい知って使いこなしてるんだろう?私は今まで新しいものが出てくるたびに全部勉強してきた。でも正直あまり暗記はしてないし、全てを使いこなしてるとは言えない。パッと思い出すのはIDEOのデザイン思考のくらい。初めてデザイン思考を知ったのは、いつだったか。WATER DESIGNに所属していた時26才の頃だったかな。その時の感想は「あぁ、高校生の時からずっと普通にやってるやつだ」と素直にそう思った。でも、そうは言えず、「凄いものなのだ…と感じなくては…!」と勝手に思い込んだ。

だけど、26才の時に感じた違和感はたぶん合っていて、デザインの方法論は、誰でも頭で理解できる知識のようで、実は半分以上の要素は、体を使わなきゃ身につかない身体知なのだ。それは歌の歌い方に似ている。歌の歌い方を文章で読んでも、急には歌えないし、完璧に喉を動かしても本物の歌手のようにセクシーで魅力的にはなれない。デザイン方法論だけを机の上で学んでも、素晴らしいデザインが生まれる確率が低いのは、その現象に少し似ている気がする。

じゃあデザイン思考やデザインの方法論って誰のためにあるのか?と考えてみる。ある人は「クライアントを口説くための営業ツールだよ。」と意地悪そうに言うかもしれない。まぁそれに近いかもしれないけど、私はその身体知がイメージできない人にもデザインを好きになってサポートしてもらうための、「招待状のような存在」なのかもしれないと最近は感じている。これからデザインを一緒に生み出すチームメンバーが(チームメンバーになりうる人が)、少しでもデザインの世界から世の中を見てみたい!と感じてもらうため、デザインの魅力を世界をダイジェストで感じてもらうために、方法論の形をしている招待状。

なので、もう既にデザインの世界とバッチリ繋がってる人々は、招待状であるデザインの方法論や議論は話半分に「いつもやってるやつだな」と確認くらいにして、身体にしっかりと身体知として刻み込まれてる勘と経験と度胸で、思うように自由に作る方が、生き生きとしたものづくりができるのではないかと思う。(でも、その自由な動きを、後々、言葉にして、自分たちのオリジナルの方法論にする作業は絶対大事)

今のところ、デザインの方法論で、再現性を約束する完全なレシピは存在しないと考えていい。かといって、デザインの方法論は、クリエイティブに生きるための喝をもらうための名言ではない。今は、その2つの間をふわっと繋げることを頑張ってくれている。そんな存在だと思う。

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ちなみに、身体知について知ってるようで特に語るほどは何も知らないので、下記の本を買ってみた。著者は、武道家で医師らしい。どんな本か楽しみ:D

身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり / 佐藤友亮

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About The Author
           

清水淳子 | shimizu junko

1986生まれ。2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後 デザイナーに。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。2019年、東京藝術大学デザイン科修士課程修了。現在、多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に「Graphic-Recorder-―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」がある。 twitter@4mimimizuでも日々色々と発信してます。

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