アイディアが生まれる場所について

美大の講師をして1年半。様々なアイディアが生まれる現場に立ち会う。多くが素晴らしいアイディアだが、稀に人権に関わるような際どいアイディアに出会うこともある。その時は、明らかにアウトでも、「ダメだからダメ!これは炎上します!」と、いきなり否定はしないように心がけている。

(毎回、試行錯誤。超難しい…。
これでいいのか…?本当に毎回迷いながら伝えている。)

ひとまずは「なぜそれを思いついたのか? 一体どういう部分が素敵で面白いと思ったのか? 他の糸口はなかったのか?」アイディアを思いついた背景を聞いてみることが多い。

なぜ思いついた背景についてヒアリングするのかというと、そういった人権に関わる際どいアイディアを思いつくのは、本人に責任が100パーセントあるわけではなく、何か既存のアイディアを参考にしつつ、そのアイディアが世の中にもたらすコトの重大さを知らないだけの可能性が高いからだ。決してその人の価値観がヤバい訳ではない。ある意味、そのアイディアを思いついてしまった本人も被害者なのだと感じる。

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と、言うのも、私も大人のアイディアを真似して怒られたことがあるからだ。それは、小学校2年(1994年)の時。クラスのクリスマス会の企画を学級会で考えていた時、「クリスマス会のプレゼント交換を男女別でやろう!」というアイディアを提案したことがある。

クラスのみんなはそれはいいね!いうムードだったが、先生は間髪入れずに「男の子のおもちゃ/女の子のおもちゃなんて境目はない。男の子だって女の子のおもちゃを欲しがってもいい。その逆もあっていい。それに、そもそもクリスマスは自分たちがピンポイントで欲しいプレゼントを手に入れるための場所ではない。」と、ジェンダーの視点と本来のクリスマスのあり方の視点で、厳しく注意をした。

その時、素直に「そうか、私は浅はかだったな…」と感じつつも「だけど…町のおもちゃ売り場は男女別。男の子は青で、女の子はピンク。それに、テレビで『クリスマスには欲しいものをおねだりしよう』と沢山のCMを流してるじゃない…私は大人が作ってるクリスマスプレゼントの世界を真似しただけなのに…」と矛盾も強く感じ、複雑な気持ちになった。

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こんな風に、プロのクリエイターでない場合、何かアイディアを出す時には、日常の中で見聞きした風景が土台になっている可能性が高い。だけど、今、メディアの中にあるアイディアは、日常で真似して良いものばかりとは限らない。

例えば、テレビのバラエティで…
顔立ちや体型をいじって場を盛り上げること。嘘の情報で誘い出して落とし穴を作って隠しカメラでみんなで覗いて笑うこと。…etc

私はこういった人を困らせる(嫌がらせ)行動で生まれる笑いが苦手。実は、それが理由で、テレビのバラエテイは中一くらいからほとんど見ていない。プロたちがギリギリまで心と体を張っていることは否定しないが、無理やり作った上下関係の笑いではなく、自然な横の繋がりの笑いを真剣に追求して欲しいと思う。

だけど、もしも、こういった「人を困らせること(嫌がらせ)で生まれる笑い」を楽しむコミュニティで過ごして、特に誰も疑問を抱かなくなってるならば…。

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今週話題の激辛カレーを同僚に無理やり食べさせる神戸の教員いじめのようなことが起こるのは全く不思議ではないと感じてしまう。

本当に悲しい事件だ。いじめをしていた教員たちには、しっかりと罰を受けて欲しいと思う。その一方、彼らは彼らで、テレビで見聞きした「人を困らせること(嫌がらせ)で生まれる笑い」に影響されてる被害者なんじゃないだろうか?と思う気持ちがある。

なので、神戸市教委は、いじめをしていた教員たちに対して、ダメだよ!と罰して終わりではなく、「なぜあなたはそれを思いついたのか? 一体どういう部分が素敵で面白いと思ったのか? 他の糸口はなかったのか?」みんなの前で聞いてみて欲しい。

コミュニケーションの延長として「激辛カレーを同僚に無理やり食べさせる」という過激なアイディアを思いついて実行してしまった彼らの思考の背景は一体なんなのか?

私は本人のアイディアだけではなく、そのアイディアが生まれる思考を作ってる「情報環境」にも課題があると感じている。

何かよくないアイディアを実行している人が現れたときに、本人だけを罰するのではなく、その人が身を置いていた風景をみんなで考察して、情報環境自体をアップデートしていくプロセスが必要なのかもしれない。

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清水淳子 | shimizu junko

デザインリサーチャー / 情報環境×視覚言語の研究 / 2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後 デザイナーに。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。2019年、東京藝術大学デザイン科修士課程修了。現在、多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に「Graphic-Recorder-―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」がある。 twitter@4mimimizuでも日々色々と発信してます。

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