混沌に留まることの意味

「Howを行ってる時は行為に没頭してて詳細を覚えてなくて、Whatは体験のインパクトが強く、当てはまる言葉が無く、Whyは大き過ぎて割り切れない答えを今も考えてる人」 それは一見、言語化できてない未熟な状態と言えるかもだけど、創作するという意味では、とても豊かな状態のような気もしてる。

未言語化のフェーズの製作者と出会った時、言語化の技術をすぐに教えることが良いとは限らない。混沌とした状態で探索を続けることを守ることが良い学びになることもある。 デザインを教える時に、この見極めが一番難しいような気がしてる。

混沌を見つめずに、言語化を教えると、一応のカタチが生まれて、指導側も本人も家族も社会も安心する。 けど、本当は、不安定に留まり続けて実験する活動にデザインの力をつけるチャンスは隠されてる。多摩美で先生業はじめて、この3年で感じたこと。

混沌に留まる環境を作ること、その中に存在することは、一見進んでないように見えるけど、実はすごく技術と経験がいる。 ヘリコプターのホバリングのような感じ。見た目は止まってるけど凄く丁寧に周りの状況を読んで、留まることを行ってる。

須永研では、自由な感性で制作に没頭してた人が言語化の扉を開いたことで、今まで通り自由に創作できなくなる現象のことを「毒リンゴを食べた」と呼んでた。さいきん抜けてきたけど、私も言語化進めてた時は毒リンゴになってたような気がする。

デザイナーは作ったモノを語れることが大事だとは思うけど、語ること/記述することに力を入れると、身体全体で制作に没頭するモードが立ち上がらなくなることある。

もちろん「両方やろう」が正しいのだけど、制作と記述を行き来するモードの切り替えを自由に行うとのは、実はすごく難しいように感じてる。会得するまでの壁にどんなものがあるのか?意外と知られてない。自分の場合を書き出してみようかな。

このことの意味、わけのわからない感じを、いまだによく考えてる。 『わけのわからないものはわけのわからないまま受け入れればいいのだ。確かなことは、わからないものはわかることを拡げてくれるということだ。』

About The Author
           

清水淳子 | shimizu junko

デザインリサーチャー / 情報環境×視覚言語の研究 / 2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後 デザイナーに。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。2019年、東京藝術大学デザイン科修士課程修了。現在、多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に「Graphic-Recorder-―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」がある。 twitter@4mimimizuでも日々色々と発信してます。

Related Post

2020-12-03
エラーを楽しめる出口を
創作のことを、守破離で教えると、実は多くの人が守で疲れ果てたり、守のステージから怖くて離れられないという現象になるのではないだろうか?とか仮に想像してみる。 破に繋がりやすい、守のインストール方法ってある気がしてる。 セキュリティがあえて甘...
2020-05-30
オンライン授業とn:nの想定外の学びの時間
多摩美の授業開始から2週間経った。 オンライン授業のいいところと弱いところを忘備録的にメモしてみる。 オンライン授業のいいところ ■Slackで出席 出席取るときに、好きな音楽、漫画、もし旅をするなら。いろいろな質問をして、その回答を出席と...
2019-10-19
アイディアが生まれる場所について
美大の講師をして1年半。様々なアイディアが生まれる現場に立ち会う。多くが素晴らしいアイディアだが、稀に人権に関わるような際どいアイディアに出会うこともある。その時は、明らかにアウトでも、「ダメだからダメ!これは炎上します!」と、いきなり否定...