テクノロジーと1対1の関係になること

テクノロジーと1対1の関係になること

昨日の@takawo & @masakick 対談を聞いてて思い出したプリミティブな感覚。
なんで忘れていたのか?私の視点の歴史と記憶をメモしてみる。

数学の証明が解ける瞬間、放送委員の体育館オーディオの接続仕事で音が出る瞬間、flashでプログラミングしたものをパブリッシュしてトレースが出る瞬間。何かが一直線にピッと繋がる瞬間ってのが、結構好きなのだと、最近気がついた。数学もオーディオもプログラミングも、具体的なスキルとしては別に得意では無いけど、感覚としてとても好き。そしてその感覚は、概念としてデザインの中で応用してる気がする。スキルとして、得意にならなくても、一度そのスキル独特の気持ちいい感覚を体験できると、全く関係ないことに応用できるのかも。でも勉強してる最中は表層的なスキルに目が行って、「どうせ将来使わないし…」って思いがちな現象、この辺り気になる。2019年1月18日

 

2006ー2008年

ガラケー時代、PCの中のFlashを色々なカメラやセンサーに繋いで何かを作る楽しさに目覚めたものの、卒業後の2009ー2011年はFlashでのリッチな広告コンテンツ全盛期で、働く上では即戦力にはなれるほどのプログラミング力はなく、分業体制だとグラフィックに徹した方が、会社的には利益で、その頃から、プログラミングを仕事の中で納品する役割はすっかり諦めてしまったように思う。いかに派手で凄い演出を行えるか?賞を取れるか?そういった世界には太刀打ちできない素朴なプログラミングだったので、自分のスキルは無かったことにして2011ー2012年デザインコンサルティングの会社に転職。

2011年

緩やかにiPhoneが広まりつつ、LINE登場。スマホアプリの中でFlashはサポートされなくなり、ビッグデータ、データジャーナリズムに出会う。素朴なプログラミングではどうしようもできない…チームプレイ必須の世界。私はツールとしてのUXに興味が出てきて、2013年にヤフーに転職する。

2013ー2017年

感じたのは、そのデータを何のために取り扱うか?どのように扱うのか?見えたことをどう捉えるのか?という解釈のための対話の重要性。データでドライブしていくため、最後にコアになるのは意外と泥臭い部分であるように私は感じた。起きた出来事を可視化するためデータを収集する方法、その解釈。それらを話すためには、話し合いのビジュアライズが重要なのでは?ということで、人の声を描き出すグラフィックレコーディングと情報デザインを絡めてを探究しようと、藝大修士に通いつつ、会社を辞めて多摩美に講師として戻った2017年。

2017ー2019年

人工知能の世界も身近になってくる。未来予測のワークショップやハッカソンがたくさん開かれる中で、さらに素朴なプログラミングでは太刀打ちできないデザインの世界が近づいてきてる感じで、もはや具体的にタッチできてない感覚が強かった。

2020ー2021年

新型コロナウィルスでのオンライン生活。ツールが揃ってない中でDIYする感覚を久々に思い出した感じがある。システムが整ってる場所はないので、さまざまなツールを組みあせて体験を作る時間。これは前年までの巨大なシナリオやシステムとは違うパラレルワールドのようだった。どんな未来予想も敵わない世界だったけど、カオスの中で最後に残る軸はやはり関係性や対話であるということは安心でもあった。目の前の出来事のデータを集めて解釈・設計していく力(デザイン)は、大きな文脈ではなく一人一人の人間の内側にあることを感じた。

と言いつつ、フィルターバブルが効いたタイムラインで、フェイクニュースは制御できず、何が本当かわからないオンラインサロン、作られたバズ、謎すぎる仮想通貨、メタの上書き合戦のようなメタバース。という感じのカオスである世界で、自分のプログラミングとは完全に無力…といか、存在を忘れてた。

もうすぐ2022年の先週

という流れがありつつ、システムの中でデータやコンピューターと関わるのではなく、自分の感覚や思考とテクノロジーを1on1で紐づけるためのスタディを行う重要性と強い意味を感じた。巨大なシステムの中でテクノロジーに出会うこと。自分とテクノロジーの1on1の関係で出会うこと。この2つは似てるようで少し違うように感じる。なので、システムのためのプログラミング教育と、個人の感覚と思考を結びつけるためのプログラミング教育。この2つもなんだか違うように感じてる。地球環境のことを知る前にまずは楽しくキャンプしてみないと、環境のこと大事にする気も起きないのと同じで、巨大なシステムのためのプログラミングは本質を見失う気がする。個人としてテクノロジーとして関係を結ぶ時間。この時間は無力にも感じるかもだけど、決して手放してはいけないように感じた。この辺りの歴史。私たちにとっては日常の瑣末な出来事かもだけど、テクノロジー史的には、ものすごく重要な10年だったように思う。 みんなのテクノロジーとの距離感の感覚。考現学的にまとめておけると後々大事な資料になりそうだ。

 

About The Author
           

清水淳子 | shimizu junko

デザインリサーチャー / 情報環境×視覚言語の研究 / 2009年 多摩美術大学情報デザイン学科卒業後 デザイナーに。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。2019年、東京藝術大学デザイン科修士課程修了。現在、多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に「Graphic-Recorder-―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」がある。 twitter@4mimimizuでも日々色々と発信してます。

Related Post

2021-06-23
日記をつけること
毎日いろいろありすぎて、色々な人に会いすぎて、どんなことがあったのかすぐに忘れてしまう。  
2020-11-25
ネットでひとりの空間をつくること
最近、インターネットとの付き合い方が変化してきたような気がする。一人で考えたことをなんと無く残していた2005年から、気がつけばあっという間に15年の2020年。2020年、ネットで発信することは、一人で考えてるようで、実のところは誰かに聞...
2018-07-12
車の教習所で思った上手な教え方
初めて人に教えるという体験をしたのは25歳の時。新卒で入社した会社を退職する際に『今まで学んだことを会社のメンバーに残していくつもりで、2時間くらい講義をやってみないか』と先輩に声をかけられて、教える場所を作っていただいたことが始まりだ。そ...