デザインの対象領域は経済から社会へと広がり始めてる。

なぜ、私たちはマイナンバー始めややこしいことの中に埋もれて生活してるのか…?もっとスプラトゥーンのように直感的に気持ちよく楽しめる世界に全てをデザインすることはできないのか…?という先日のエントリーの続き。スプラトゥーンから、思考をイカジャンプさせて、社会とデザインに関するいろいろを書いてみました。

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話は飛びますが、大学生の頃に「あなたが自由に何でもデザインできるとして実現したいことは何ですか?」と誰かに聞かれたことがある。 その時に、私は「わざわざカッコつけてなくても、カッコいい生活を当たり前に送れるようにデザインしたい」と答えた。

なぜかというと、高校生の時に「デザイン」が特別な人の特別なモノになってしまっていることに、とても違和感があったから。例えば、都心の特別なお店で売ってる高価なデザインされてる日用品と、地方のスーパーで売っている日用品の質と値段の差。その差って一体なんだろう。一流のデザイナーが時間をかけて作った特別な良いものは高くて当たり前なのだろうけど、果たしてそのお金を払える人だけが「良いデザイン」を享受できる世界が正しいのだろうか?と感じていた。

毎日の商店街やスーパーや通勤や通学、生活をただ繰り返してるだけでも、誰でもカッコよくスマートに過ごせる日常生活をデザインできないのか? そう考えていた時に、無印良品に出会って、とても感動した。誰でも使えるシンプルな見た目と程よい機能とリーズナブルな値段。こういうことが自分の理想とするデザインのバランスなんじゃないかと感じた。また原研哉さんのデザインのデザインで無印良品のリブランディングの時のコンセプトメイキングを読み、さらに深く納得した。

「これがいい」「これじゃなきゃいけない」というような強い嗜好性を誘発するような存在であってはいけない。幾多のブランドがそういう方向性を目指すのであれば、無印良品はその逆を目指すべきである。すなわち「これがいい」ではなく「これでいい」という程度の満足感をユーザーに与えること。 / 原研哉, 2003, デザインのデザイン, 岩波書店, P108
「あなたが自由に何でもデザインできるとして実現したいことは何ですか?」

その質問の答えを考えたきっかけで、私は「特別なデザインだけではなく、生活に馴染むデザインがもっと世の中に行き渡ること。そして、特別な誰かだけではなく、誰でも良いデザインを身の回りに携えて暮らせる世界」これが実現したいことなのだと気がついた。そして、それはどうしたら作れるのだろうと、考えるようになった。

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時は経ち、2017年。企業の経済活動にデザインが有効であることは、様々な先輩デザイナーたちの努力と素晴らしい実績により、今やほとんどの経営者たちの常識として浸透しつつある。無印良品を展開する株式会社良品計画は、デザインの力を活かしきっているお手本企業として様々な角度から研究され、書籍となり、参照されている。

また、伊藤忠ファッションシステムで長年流通業を研究していたifs未来研究所所長の川島 蓉子さんは、2013年に日経ビジネスで『「ダサい社長」が日本をつぶす! 』という、たぶん全デザイナーが思ってたけど、面と向かっては言えなかったメッセージを全面に押し出したパンクな連載を開始して、「社長、そのデザインでは売れません! 」というド直球な主張がタイトルの本も出版した。(川島 蓉子さん本当リスペクトです。)

日本製のモノが、サービスが売れない。性能はいいのに。機能も充実しているのに。壊れないのに。親切なのに。多くの日本企業が直面している、「いいモノをつくっているのに売れない」問題。なぜ、売れない?それは、日本製品の多くが、かっこよくないから。美しくないから。カワイくないから。気持ち良くないから。つまり、デザインがなっていないから。 どうして、デザインがなっていない?それは、経営者がデザインのことをわかってないから。つまり、経営者が「ダサい」から。〜 以下略 / 『「ダサい社長」が日本をつぶす!』コラムについての説明文より引用
厳密に考えるとまだ道半ばとは思うが、デザイナーが経済活動の中で、より多くの生活者に良いデザインを届けるための足場はざっくりと確立し始めたように思う。だけど、それはあくまで経済活動という枠組みの中での話で、さらに広く視野を広げてみると、冒頭であげたマイナンバーはじめ、確定申告、失業保険、年金、数え切れない複雑な社会制度に関して、デザインはまだまだ追いついていないという現実がある。ここで世界に目を向けてみよう。

イギリス政府では、政策をデザインする中での探求と学習をPolicy Labという実験機関を設けて行っているそうです。 / 👉 イギリス政府における政策のデザインとその事例 / written by Masafumi Kawachi より引用
すごい…!日本だと考えられないくらいに進んでいる…!ただ、なぜイギリスで社会的な制度のデザインが進んでいるかというと、意識が高いからというよりも、階級社会による激しい格差による貧困や、複雑な社会背景による様々な問題で、政府が待ったなしの状態に追い詰められているなど深刻な状況があるとのこと。

私はイギリスに行ったことないので、その深刻さについては聞きかじりなのですが、状況を生々しく伝えてくれたのが、ケン・ローチ監督の作品「わたしは、ダニエル・ブレイク」主人公の一人暮らしの老人ダニエルは、ある日突然、心臓の病に襲われ、仕事に行けなくなる。国の援助を受けようとするが、理不尽で複雑に入り組んだ制度が立ちはだかり援助を受けることが出来ず、経済的・精神的に追いつめられていく。そんなストーリー。

この映画に出てくる役所の対応が、本当に胸がつまるくらいに、煩雑で複雑で、辛くなる最悪のBAD-UX。ダニエルのカスタマージャーニーマップを描いたとしたら、もうずっと BADな気分を低空飛行のマップになる。(これ今度書いてみたいな…) 最後まで救われない。この映画に関して、ケン・ローチ監督はインタビューの中でこう語ってる。

制度を変えようとしていない以上、これは人間の過ちと言わざるを得ません。振り返ってみると、今起きていることに驚くこともないでしょう。ただ一つ問うべきなのは、「では私たちはどう行動するのか?」ということです。/ 👉 「映画で疑問を投げかけ、扇動する―ケン・ローチ『わたしは、ダニエル・ブレイク』を語る」 ケン・ローチ(Ken Loach)より引用
ケン・ローチ監督が描いたのはイギリスのお話だけど、日本も他人事ではない。2017年6月、経済産業省の若手官僚たちがイギリスもびっくりの、日本の待ったなしの社会課題をまとめ上げた資料が、100万ダウンロードを突破して話題になったことを皆さんは覚えているだろうか。👉『不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか』このペーパーは当時、賛否両論で炎上に近い状態になっていた。そのひとつとして「なぜ課題を提示するだけで終わっているのか?課題を解決するのが官僚の仕事だろ!」という苛立ちが多かったように思う。確かに巧くコミュニケーションできていなかった部分もあると思うが、経済産業省の若手官僚たちが伝えたかったのは、ケン・ローチ監督も映画を通して投げかけている「では私たちはどう行動するのか?」という問いだったのだろうと私は感じた。

メンバーたちには、世間の人も巻き込みながら一緒に問題意識を共有して、仲間を増やしていきたい意識もあったので、解を出すことにだけ傾注はしたくなかったんです。 / 👉 経産省若手官僚5人が語り合う「私たちが、あのペーパーで伝えたかったこと」より引用
みんなで複雑な社会課題を、解決していくことは容易なことではない。今までの枠組みを組み替えて新しい制度を作っていくことは混乱も生み出すし、解決するべき課題も深刻に現在進行形で誰かが困ってることなので失敗などできない。ちきりんさんの「公務員の仕事はこれからマジ大変」に書かれてるように、社会が仕事領域になる職業ほどシビアなパフォーマンスが要求される仕事はないと思う。

だけど、本当に大変だからこそ、デザイナーは経済活動の枠組みだけではなく、社会活動の中でデザインができることを新たに提示していく時期なんじゃないかと感じる。たぶん私たちは、デザインの歴史的にも、経済活動の中で様々な解決方法を確立してきたデザインの価値を社会的にアップデートするタイミングの時代の入り口にいる。

今、在籍している東京藝大 情報設計室の須永ゼミのメンバーで、株式会社デスケル デザイナーの hirano tomokiさんは下記のように語っている。

デザインの舞台を経済から社会に移すことで、グラフィックデザインの本質的価値が、舞い戻ってくる。社会を相手にデザインする時、その生活者を強化する道具(工作物)をつくることが、グラフィックデザイナーの責務となるのだ。 〜〜中略〜〜 日本では、このような兆候が、グラフィックレコードというかたちで立ち現れはじめていると、僕は考えている。だからこそ、グラフィックレコードは、議論を1〜10まで書きうつすといったパフォーマンス(演出)や情報過多で扱いずらいシート(道具)で終わってはいけないのである。そこには、グラフィックデザインのアプローチ“も”必要なのである。/ 👉 デザイナーのパラダイムシフト written by hiranotomoki
「デザインの舞台を経済から社会に移す」このパラダイムシフトをイメージしながらデザインしていくことは、これから重要になってくるように思う。私が行ってるTokyoGraphicRecorderという活動でのグラフィックレコーディングも2013年に始めた時は経済活動の中でのデザインに関する議論を円滑にする意味での仕事が多かったが、2017年は経済と社会の接点を見つけたり、社会活動の中の議論を円滑にする仕事が増えてきた。確実にデザインの対象領域は広がってきている。

総務省ではこんな動きも始まっているようだ。

将来の総務行政の中核を担うことになる若手職員26名を集め、「明るい未来のイメージ」を作り、情報通信審議会「IoT新時代の未来づくり検討委員会」審議会に提示する。/ 👉 事業構想オンラインニュース 総務省、若手官僚の「未来デザインチーム」立ち上げ
私が妄想している「特別なデザインだけではなく、生活に馴染むデザインがもっと世の中に行き渡ること。そして、特別な誰かだけではなく、誰でも良いデザインを身の回りに携えて暮らせる世界」これって今でも一体どうやったら、実現できるのかわからないくらいに途方もない世界なのだけど、諦めずに心のどこかに置いておきたいビジョンである。

ひとまず来年は、ケン・ローチ監督や経済産業省の若手官僚たちに習って、社会の中で「では私たちはどう行動するのか?」という部分を問いかけ、みんなで考えていくためのデザインを、議論の可視化(グラフィックレコーディング)という手法を軸に研究していきたい、と思ってる。

※どうやるかはいろいろ試行錯誤中なので、もしアイディアある方いましたら、メッセージでも、リプでも、引用RTでも大歓迎なので、コメントいただけたら飛び跳ねるほど、嬉しいです:D


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